聞き手
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まずは、東洋太平洋のチャンピオン返り咲き、おめでとうございます。
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西澤
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どうもありがとうございます。
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聞き手
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その四月二十日の試合ですが、世界戦からわずか三ヵ月で再起戦をするというのは、やはり世界戦である程度手応えを感じて、再び世界に挑むというモチベーションが上がったということなんでしょうか?
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西澤
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たしかに手応えもつかんだんですけど、他に理由があるんです。
自分の試合の恒例として「勝利のリングに娘を上げる」というのがあって、世界戦の前に過去九回リングに上げてるんですが、世界戦の時は初めて敗れたリングに娘が上がってきたんですよ。リングサイドの最前列で『パパ、パパ』と言って一生懸命応援している姿に、現地のオーストラリア人が感動していたんです。自分が第四ラウンドに最初にダウンした時から娘は泣き出していたんですが、試合後にオーストラリア人が慰めてくれて『パパのところに行きなさい』って抱きかかえてリングに上げてくれたんです。 リングに上がっても娘は泣いていて・・・パパが倒されたというのが悲しかったんでしょうね。
翌日家族とともに東京に戻る時も、シドニーの空港で『パパ、もう試合しなくていいよ』って言われてたんです。娘の心をすごく傷つけてしまったんですよ。それで「娘の傷を癒すには、勝ってまたリングに上げてやることが一番だろう」と自分なりに考えまして、帰国してすぐマネージャーに『再起戦を組んでくれ』と言ったわけです。それがたまたま東洋太平洋のタイトル戦になったんですけど、とにかく勝ってまた娘をリングに上げてやるんだ、一日も早く娘の傷を癒してやりたいという気持ちが強かったですね。
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聞き手
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家族の支えがモチベーションになっているわけですね。
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西澤
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それが一番です。
でもね、自分は本当にボクシングが好きで始めたわけですが、それを支える家族、特に妻は大変だと思いますよ。三十一歳で結婚したんですけど、日々のきつい練習でアザを作ったり手を痛めたり、体重も落としていくその姿を間近で見てるわけじゃないですか。娘にしても、パパが殴り合ってるのをリングサイドで見てるんですからね。
試合はだいたい約二ヵ月前に決まるんですが、試合が決まると妻が自分に対してすごく気を遣うんですよ。いかに試合に集中できるかを考えて、そういう環境を作ってくれますんで、それに恩返しできることというとやっぱり試合に勝つことなんです。
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聞き手
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家族といえば、そもそもボクシングを始められる時にご両親はどういう反応をされたんですか?
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西澤
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反対はたしかにありました。未知の世界だし、長野県上田市の出身なんですけど十九年間上田で育って外に出たことがなかったのが、東京という慣れない土地に行くわけですから。ただ、家族も親戚も反対しましたけど、一回言い出したら聞かないというのは両親もわかってましたから、最終的には「やるだけやってみたらいいんじゃないか」と。
でも、三十八年の人生で、上田から東京に出て来るのが一番勇気が必要でしたね。どんな試合の時よりも。一体自分がどこまで行けるのか、プロになれるのか、いろんな不安がありました。サラリーマンという安定した生活から飛び出してボクシングの世界に入るのは勇気がいりましたね。ただ、そういう思いがあって踏み出したからこそ、中途半端では戻れないと思ったんです。
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